遅!鈍!アホやんもも吉!
2012.09.30 Sunday
「ルビー通信」でメンバーの病気の話を連載中だ
2話だけ脱線したがそろそろ次のメンバーの話を書かなくちゃ
入院順に書いている
次はいよいよもも吉の番だ
書き始めたが
本題に入る内容になり
この「ひとり言」を2009年にさかのぼって読み返してみた
忘れていたことをいろいろ思い出して
涙出るわ〜
何?もも吉って熱が続いてたんや
何?もも吉ってこんなしんどかったん?
何?こんな副作用も?
何?何?何?もも吉って病人やったんや!
なんか涙でるわ〜
なんか、自分が可愛そうになってきたわ!
本人は入院当時は明るく元気に過ごしていたけれど
今、もの凄く元気な状態で読み直すとムッチャ病人やん!
これは…驚いた!
当時これを読んでくれていた友人に、かなり心配をさせたに違いないと初めて思った
今更ながら
本当に
本当に
本当に
本当に
本当に
本当に
ありがとう!!!!!!
とにかく、ひたすら、ありがとう!!!!!
感情の奥底から感謝の気持ちが湧いて来る
改めて皆に心配をかけていたこと
やっとそのことに気付いたのでここに書く
遅!鈍!アホやんもも吉!
こんな恩知らずなもも吉ですがこれからも宜しくお願いします
それで
そういうことで
アホやんアホやんと自分を罵り
ちょっと落ち込み
意気消沈
なので
「ルビー通信」は書きかけで放置
書き上げることができなかったのでまだ未公開です
いつ書きあがるか未定です
でわ、あしからず
…しかし
本当に闘病中は元気に明るく過ごしてたんですよ
でも世間の健康な人からすれば
あれはかなり「病人」でしたね
元気な今だからわかります
変わっていない
2012.09.28 Friday
もも吉は20年前に人生最初で最後の出産を経験した
初産で双子が生まれた
首が据わるまでの育児が1番大変だった
1ヶ月健診で
「オチビちゃんたちは順調に成長してるけれど、お母さんの具合が悪いわね、疲労かな〜来月再検査しますね」
と言われたのには自分でも驚いた
毎日必死だったので再検査が必要なほど疲れているとは思いもしなかった
赤ん坊の一人が泣き
ミルクを飲ませる
飲まし終えて哺乳瓶を洗って、ホッと一息もつかの間
別の一人が泣く
そしてまたミルクを飲ます
勿論同時に泣くこともある
オムツ交換も同じだ
朝も夜もその繰り返し
沐浴も大変だった
一人を入れている間は
別の一人が泣くじゃくる
首の据わらない頭を支える左腕は2人目にはだるくなる
二人の沐浴を終えると汗だくになった
なかなか大変だった
しかし
その大変さは周囲はわからないようだ
出産前の大きなお腹をみてもも吉を睨みつけながら
姑さんは「二人と一人とどう違うって言うんじゃっ」って言うし
まぁ私は「一人」を経験していないから何とも言えずに黙っていましたが
出産経験者にそんなことを言われるとは思いもしませんでした
生まれてからは
年子の育児をしている人に
「同じ事をすればいいんやから双子の方が楽ちゃうん」と言われました
まぁ私は年子の子育てを経験していないので何とも言えずに黙っていました
何人もの年子のママさんに言われました
私に言うてきた年子のオカンども!おまえら!よっぽど自分がとんでもなく大変な子育てをしてると思ってんねやろ!双子の子育てをなめんなよ!そんなに「楽」やと思うなら、いっぺんやってみろ!年子がなんやっちゅうねん!1人目の子はゆっくりと「一人の子育て」やんけ!二人目が生まれるときには一人目の首はすっかり据わってるやろ!双子の子育てをなめんなよ!
と頭の中で怒り狂っていたが
一人目の子を育てながら大きなお腹をしていたことが私にはないので
それも大変だろうと想像できるので
何も言い返さずに黙ったいたが毎度毎度言われる
<同じ事をすればいい>にはムカつきました
「同じ」じゃないんです
毎日毎日違うんです
昨日と今日は違うし明日も違う
赤ちゃんは二人いてもそれぞれ別々の人間なんです
同じロボットが2つあるんじゃないんです
泣くのも
笑うのも
ウンチするのも
別々なんです
同時進行じゃないんです
当時の新聞記事に
「保健婦さんに<2回同じ事をすればいいだけでしょ>と言われてショックでした」
と投稿している記事を読み
やはり双子の子育ては理解してもらえていないと泣けたことがある
そして最近の
この記事を読んで
今もその現状は変わっていないと驚いた
初産で双子ってのが大変さに拍車をかけてると思う
2回目や3回目の出産で双子なら
初めての育児じゃないので少しは育児に余裕があると思う
実際、3回目の出産が双子だった友人がいてて余裕に見えた
それでも
「育児はわかってるけど!なに!双子ってなんであんなに大変なん!あんた、初めての子育てでよくできたね!」
と、私に言いいに来るので
二人で大笑いした
理解してくれる人がいてると気持ちが楽になる
でも
この記事には驚いた
20年前と全然変わっていない世の中に驚いた
9月
2012.09.25 Tuesday
8月の末から
「いよいよ9月や!」と9月がくる心構えをする
9月は毎年
祭り
敬老の日
お彼岸
この季節の行事3連発がくるんです
そして
今日はやっとお彼岸が終わりちょっと気が楽になった
30日の日曜には季節行事のお月見がきますが
それまでの数日は気楽です
そしてお月見の日は毎年変わるのでお月見はたいして気に留めていない
でも数年前、お彼岸の真っ最中にお月見まできて
お団子を求めるお客さんに
「お彼岸団子ですか?お月見団子ですか?」と確認が必要だったときがある
残暑が長く続く暑いころに「お月見・中秋の名月」と言われても
なかなかピンとこず
できればお月見は10月が好ましいと感じる
今年は数日前から朝晩すっかり涼しくなったので
30日もきっと夜空を見上げる体力的余裕が皆さんにあるだろう
けれど
それも
お天気次第!
中秋の名月の日は雨が多いんだよね
今年はどうでしょね
とりあえず
多忙が終わりました〜万歳
ちなみにリレーフォーライフの日も結構疲れていたので
てきぱきとSさんが動いてくれたので助かりました
もも吉がボーとしている間に
受付を終えてくれたし
ルミナリエの申し込みもしてきてくれたし
書き終えると飾りに行ってくれたし
燃えてるルミナリエの消火もしてくれてたし
ありがとうありがとうありがとう
感謝!
むっちゃ、ボーとしててごめんね〜
え?なに?いつも?
ばれたか(笑)
ついでの話ですが
フラッグを仕上げた翌日は眠さマックスで仕事中に脳みそが何度もワープしてました
睡眠って重要ですね
秋の夜長もほどほどにしよ〜
ルビー 2
2012.09.24 Monday
大阪初開催のリレーフォーライフの会場が
貝塚市二色浜だった
それはすごく近い!だから以前から気になっていた
でもとにかく
もも吉の9月は仕事が忙しいんです
しかもこの開催日はお彼岸のお中日!で、土曜日!
絶対に仕事は忙しい
だから仕事後の夜に3時間ほどしか行けない
その参加の仕方に皆を巻き込むのはどうかと悩んでいた
でも皆から参加オッケーの返事をもらえたので
「がん友会ルビー」でチーム参加してきました
フラッグを持ってグラウンドを歩きます
フラッグのデザインをメンバーのSさんにお願いしました
当日まではメールで連絡事項が頻繁に届きます
最初はもも吉が受けていましたが
途中から携帯画面では見れない内容が届いたり
さらに仕事が忙しくなってきたので
メール連絡係りをSさんにお願いしました
要するに
自分が参加したーいと言い出して、申し込んだのに
細かいことはSさんに丸投げ状態!
ありがとうありがとうありがとう!
ホンマにありがとう
おかげでどうにかこうにかなんとか当日を迎えることができました
ありがとう
さてさて
夜だけの参加なので
目立つように光物を身につけて、フラッグにも付けて参加
赤く光るメンバーが歩いていると遠目からもすぐわかる
ちょっと…不気味?(笑)
見えないけれど
赤い帽子も被っていました
首にはLEDのライトをぶら下げて手元対策もばっちりです
でも会場は想像以上に明るかった
けれどやはりパンフレットは見えない暗さなのでこれは役に立ちました
夜の会場は
ルミナリエが綺麗です
メッセージなどが書かれています
みんなの思いが詰まっています
大阪初開催のリレーフォーライフに参加できた
メンバー5人で参加できた
楽しかった
この開催を主催してくださった皆様に感謝したい
「がん友会ルビー」は
ボランティアもできないし
チーム会議にも参加できない
夜の数時間しか現地に滞在することしかできない
けれど素敵な時間を過ごせた
ありがとう
何もできない私たちに素敵な思い出をありがとうございました
来年、再来年そしてその先も
この日のような素敵な数時間を過ごしたい
初開催の次、続けていくことが重要だと思う
継続は力なり
けれどそれは簡単でない大変なことだと想像ができる
でも小さな力が集れば大きな力になる
たくさんの人が集ることで可能になる
皆の力で出来上がるイベント
「がん友会ルビー」も小さいけれど力の一つになりたくて来年も参加したい
宜しくお願いいたします
もも吉たちは10時半頃に帰路についたかな?
赤く光るリングは
実行委員の増田悦子さんに
想いと共に託してきました
がん患者は皆仲間です
増田さんありがとう
ルビー 1
2012.09.23 Sunday
2010年4月に本退院して
2010年7月に入院中に仲良くなった仲間とお茶会をした
(今までこの仲間のことをここでは「がん友」と表現してきた)
そしてその9月
これからも定期的に集ってお茶会をしようと相談した矢先に
Mちゃんが再発してしまった
入院治療が開始すると
Mちゃんは
「今は、知った人誰もいないは、一人やわ」と言った
サラッと言ったけれど
寂しそうに聞こえた
ちょっとなげやりにも聞こえて
私は涙をこらえた
だから
どうにかしたかった
一人じゃないことに気付いてほしかった
がん友がいることを思い出して欲しかった
病気と闘うために必要なポジテイブ思考を思い出してほしかった
見ず知らずの同室の人に声をかけるポジテイブ思考を思い出してほしかった
どうにかしたかった
ぶっちゃけて言うと!
そのたった一人に元気になってもらいたかった!
入院中に気持ちを強く持ち続けるためにどうにかしたかった
焦った!
まずは、お茶会をするメンバーに話して「会」として名前をつけた
「がん友会・ルビー」結成
次にいろいろ試行錯誤したがどれもこれも上手くいかず
挙句の果てMちゃんに
「中途半端にするならやめてしまい」と言われたが
その時すでに投げ出せない状態になっていたので
「やめり」と言われても「はいやめます」とは言えなかった
むしろ「やめる」と言うほうが勇気が必要だった
最終的に落ち着いたのが
ブログという手段だった
で、結局はブログにいろいろ書いているだけなので
世間にたくさんある「がん患者の会」のような「人様のお役に立つこと」はしていない
メンバーの行動や経験や気持ちなどを「ルビー通信」として残している
他人から見れば、自己満足と言われるかもしれない
結構です!
そう捉えていただいてかまいません!
自己満足で何が悪いんですか!
誰かのために何かをしようなんて所詮は自己満足なんです!
でも、私たちは
何かを成し遂げようとか成果を出そうとか何も望んでいない
勿論、そのようなことができる器も持ち合わせていない
けれど
私たちは
ありのままを綴る
そして
それを読んでくれた人が少しでも笑顔になってくれると嬉しい
この「ひとり言」でいままで「ルビー」のことを書かなかったのは
自然な流れで見つけてくれた時に読んでもらいたかったのでここには書かなかった
それならなぜ今書いたのかと聞かれると
大阪初開催のリレーフォーライフに「チーム参加」をしてきた
それを「ひとり言」したくて書いた
もも吉は至って単純な人間です
「チーム参加」してきたのでチームの説明を書いた!ただそれだけです
では
参加の内容は「ルビー 2」へ続く