結果
2017.09.25 Monday
ちょっといろいろと考えて
9月4日に内科に行ってました
国民健康保険加入者なので
在住市の無料健診を利用した
絨毛がんの血液検査を追加したので
結局は無料ではなかった
まぁそれはええよ(笑)
それで
今日
やっと血液検査結果を聞きに行けた
まぁハッキリ簡単に言えば
〈問題ない〉
でした
肝臓も腎臓も糖尿も貧血も絨毛がんも
なんの問題もなく
メタボでもなく
すこぶる健康
喜ぶべきことだが
たまに
動悸
めまい
吐気
に襲われる
でも
血液検査では異常はなかったので
ストレス
疲労
睡眠不足
更年期
自律神経
などが考えれるかな?と言われた
2009年に癌と診断されるまでにも
かなりしんどくて
何軒か病院をめぐった
めまいドッグもうけた
けど
なにも異常はなかった
そういう経験があるので
今回の検査結果
〈問題ない〉
はなんとなく喜べない
心当たりのある原因が1つある
それは
〈冷え〉
体の外も中も冷えてる
これは自分で改善できる(はず)
心がけはあるが
実行力がない
(笑)
言い訳〜
冷えは万病のもと、ですよね
アカン
このままではアカン
若くないからますますアカン
と思いつつ
このままダラダラ過ごすだろうなぁと
自己分析
まぁなにわともあれ
血液検査もレントゲンも異常はなかったから
オッケーってことですね
あ、BMIはちょっとだけ基準値を越えました
でも
問題ない範囲です
(自己判断)
息子
2017.09.22 Friday
9月、息子、転職する
息子は
高校三年の夏休みに
学校を中退した
その頃もも吉は
がんで入院中だった
※※※※※※※※※
高校三年になり
学校に行かず自室で
毎日寝て過ごす息子
最初の頃は
毎朝お弁当を作り
部屋に持って行き
「学校行きや〜お弁当置いとくで〜」
と、机に置いた
毎朝行かないので
そのうち
お弁当作りをやめた
もも吉の考えは
「学校は絶対に行かなアカンことはない、でも毎日ゴロゴロと寝て暮らすのはやめろ」
だった
もも吉は自分の体調が悪くなっていくのを感じてたので
6月末に
娘から個人懇談日程表を渡され
7月末と知り
〈無理やろなぁ〉と直感
6月末に
ひと月先の7月末の
自分の体調に不安があった
なぜかその不安に自信があった
先生に連絡して
7月1日の朝イチに懇談をしていただいた
そして7月22日に入院になった
病名は絨毛がん
やはり7月末までは無理だった
懇談を済ませておいて良かったと思った
さて
寝て暮らしてる息子だ
入院の3日前ぐらいに
息子の寝てる枕元
頭の上から
「おい。よく聞け。聞いてんか!聞けっ。」
息子の返事があったので
続けた
「オカンは病気になった。22日から入院や」
息子
目はつぶったままで
「え!なんの病気?」
目はつぶったままだが
きちんと聞いてると判断した
「癌や」
「えぇ大変やん」
まだ目は開かないが
脳みそはまわってるようだ
と判断できたので
続けた
「癌って病気を知ってんか、偉いやないか。まぁそんなわけで入院してくる。来月末には退院できると思う。おい、おまえ、オカンが帰ってきたときにまだ寝て暮してたら、ほりだすからな、わかったか」
「おぉ、わかった、わかったなんとかする」
最後まで目は開かなかったが
約束はした
もも吉が入院して間もなく
息子は仕事をみつけた
そして8月に退学届けを出した
とりあえず
寝て暮らすことを乗り越えたので
安心した
けれど別に喜んではいない
入院中のもも吉に仕事が決まったことを連絡してきたときに
「3年はそこで居ろ。3年頑張れたら次につながる。3年続けろ。」と約束させた
寝て暮らしてた人間に仕事が続くのか?
答えが出ない間は喜ぶわけにはいかない
喜んだのはおばあちゃんだ(もも吉の母)
高校を中退したのに喜んでる理由は
息子が
仕事を始めてからすぐに
「感謝」を知ったからだ
泣くほど嬉しかったようだ
今でも当時の話になると
話しながらうるうると目頭が熱くなるさまを何度か見た
ちょっと話がそれた
その後
「オカン、ごめん、約束まもられへん」
もも吉は
「約束?なに?」
「3年続ける言うたけど限界や違うとこ探すわごめん」
「あ〜そんな約束したなぁ、もうええもうええ、今の仕事はあんたはアレルギーでるからアカンよさっさと辞めり」
2年も頑張った息子はもう大丈夫
どこにいっても大丈夫
家族の信用も取り戻したから
3年続ける約束をすっかり忘れていたもも吉だった
そして転職の面接
緊張してる息子に
もも吉が助言したのは
「絶対に高校を中退した理由を聞かれるぞ」
だった
案の定
聞かれたようだ
息子は
「母親が癌で入院することになり…」
と、
上手い具合に
もも吉の入院を利用して
我が寝て過ごしてたことを無しにして
中退を美談にした
いや〜笑えた〜笑いながら息子に
「おまえ、上手いのぉ」
笑えた
まぁええよ(笑)
美談が効いたのか(笑)
仕事が決まった
もも吉の助言は
3年続けたらまた転職したくなったときの〈履歴書の信用〉を得れる、それは次につながる。それと27歳には落ち着け、27歳が転職のラストや、その後は同じところで勤めろ」
だった
4年ほど勤めて
また転職
1年半勤めて
また転職
それが今回の転職だ
さぁ来年は26歳になる
これが転職のラストになるか?
はたまた
もう一度、転職するか?
もしくわ
30歳ぐらいまで悩むか?
息子
今は独りではない
嫁と子がいる、家族をも持つ身
頑張れ
息子は
高校三年の夏休みに
学校を中退した
その頃もも吉は
がんで入院中だった
※※※※※※※※※
高校三年になり
学校に行かず自室で
毎日寝て過ごす息子
最初の頃は
毎朝お弁当を作り
部屋に持って行き
「学校行きや〜お弁当置いとくで〜」
と、机に置いた
毎朝行かないので
そのうち
お弁当作りをやめた
もも吉の考えは
「学校は絶対に行かなアカンことはない、でも毎日ゴロゴロと寝て暮らすのはやめろ」
だった
もも吉は自分の体調が悪くなっていくのを感じてたので
6月末に
娘から個人懇談日程表を渡され
7月末と知り
〈無理やろなぁ〉と直感
6月末に
ひと月先の7月末の
自分の体調に不安があった
なぜかその不安に自信があった
先生に連絡して
7月1日の朝イチに懇談をしていただいた
そして7月22日に入院になった
病名は絨毛がん
やはり7月末までは無理だった
懇談を済ませておいて良かったと思った
さて
寝て暮らしてる息子だ
入院の3日前ぐらいに
息子の寝てる枕元
頭の上から
「おい。よく聞け。聞いてんか!聞けっ。」
息子の返事があったので
続けた
「オカンは病気になった。22日から入院や」
息子
目はつぶったままで
「え!なんの病気?」
目はつぶったままだが
きちんと聞いてると判断した
「癌や」
「えぇ大変やん」
まだ目は開かないが
脳みそはまわってるようだ
と判断できたので
続けた
「癌って病気を知ってんか、偉いやないか。まぁそんなわけで入院してくる。来月末には退院できると思う。おい、おまえ、オカンが帰ってきたときにまだ寝て暮してたら、ほりだすからな、わかったか」
「おぉ、わかった、わかったなんとかする」
最後まで目は開かなかったが
約束はした
もも吉が入院して間もなく
息子は仕事をみつけた
そして8月に退学届けを出した
とりあえず
寝て暮らすことを乗り越えたので
安心した
けれど別に喜んではいない
入院中のもも吉に仕事が決まったことを連絡してきたときに
「3年はそこで居ろ。3年頑張れたら次につながる。3年続けろ。」と約束させた
寝て暮らしてた人間に仕事が続くのか?
答えが出ない間は喜ぶわけにはいかない
喜んだのはおばあちゃんだ(もも吉の母)
高校を中退したのに喜んでる理由は
息子が
仕事を始めてからすぐに
「感謝」を知ったからだ
泣くほど嬉しかったようだ
今でも当時の話になると
話しながらうるうると目頭が熱くなるさまを何度か見た
ちょっと話がそれた
その後
「オカン、ごめん、約束まもられへん」
もも吉は
「約束?なに?」
「3年続ける言うたけど限界や違うとこ探すわごめん」
「あ〜そんな約束したなぁ、もうええもうええ、今の仕事はあんたはアレルギーでるからアカンよさっさと辞めり」
2年も頑張った息子はもう大丈夫
どこにいっても大丈夫
家族の信用も取り戻したから
3年続ける約束をすっかり忘れていたもも吉だった
そして転職の面接
緊張してる息子に
もも吉が助言したのは
「絶対に高校を中退した理由を聞かれるぞ」
だった
案の定
聞かれたようだ
息子は
「母親が癌で入院することになり…」
と、
上手い具合に
もも吉の入院を利用して
我が寝て過ごしてたことを無しにして
中退を美談にした
いや〜笑えた〜笑いながら息子に
「おまえ、上手いのぉ」
笑えた
まぁええよ(笑)
美談が効いたのか(笑)
仕事が決まった
もも吉の助言は
3年続けたらまた転職したくなったときの〈履歴書の信用〉を得れる、それは次につながる。それと27歳には落ち着け、27歳が転職のラストや、その後は同じところで勤めろ」
だった
4年ほど勤めて
また転職
1年半勤めて
また転職
それが今回の転職だ
さぁ来年は26歳になる
これが転職のラストになるか?
はたまた
もう一度、転職するか?
もしくわ
30歳ぐらいまで悩むか?
息子
今は独りではない
嫁と子がいる、家族をも持つ身
頑張れ
読みました
2017.09.18 Monday
先日観た映画の原作を読みました
観た映像を思い浮かべながら読めたので
スムーズに読めました
ラストですが
映画のラストを観たときに
「上手いなぁ」と仕上げ方に感動しました
原作のラストは
「本」独特な終わり方です
〈こんなことをして結果こうなりました〉って全部を書く説明的なものではなくて
〈終わりのその先〉を読み手に想像させる終わり方
そういう作品はたくさんある
でも
映画を観てから原作を読んだので
原作の終わり方にちょっと物足りなさを感じました
もしかして原作を先に読んでたら
原作のこの終わり方に「もうちょっと書いて」って怒ってたかも(笑)
それでも
映画も原作も
どちらも素晴らしい作品だと思いました
さて
これをきっかけに
〈読書の秋〉になるかな?
食欲は一年中だから〈食欲の秋〉は控え目に(笑)
秋を楽しみたいですね
7番は20.18.19.番外.14.12.13
2017.09.14 Thursday
善峯寺の門
立派!!!!!
以前紫陽花を見たくてひとりで来たときにも
この門の立派さに驚いた
そしてここは山の上です
眺めが素晴らしい
初めて来た「ぎゅ」が
見晴らしの素晴らしさを絶賛してました
ラッキーなことにこの日は
第二日曜で開扉日でした
観音さまのお顔をしっかりと拝見できました
優しい表情で
見ていると涙がこぼれそうになりました
西国巡礼の
7番目に行ったのは
20番 善峯寺
18番 六角堂 頂法寺
19番 革堂 行願寺
番外 元慶寺
14番 三井寺
12番 正法寺
13番 石山寺
七寺です
順調に回れました
が!!!!
しか〜し!!!
二寺目では
ご朱印をもらってません
西国1300年記念の行事で
この日は六角堂 頂法寺さんは
〈月参り日〉で特別なご朱印を頂ける日でした
着いたのは10時頃だったかな
それなのに
納経に長蛇の列
列
列
列
列
列〜!
本当にものすごい列で
びっくりした
お参りだけして
次へ向かいました
革堂 行願寺へ
ナビはすぐ近くの駐車場を
案内してくれて
そこに止めたのに
車を降りて
二人で延々と反対方向へ歩いた
アホやし(笑)
違うと気づいて戻る
戻る
戻る
戻る
ぎょーさん歩いたわ(笑)
〈ぎょーさん〉は関西弁???
なにわともあれ
着いて
お参りをした
もも吉はたまに
納経を受けてるときに
記入係の人に
ペラペラと喋る
革堂で
六角堂の行列の話をしたら
「千人ほどお参りに来られますからね」
と笑ってはりました
善峯寺の記入係さんに
観音さまを拝見できて嬉しいです、と話をして
和みました
嬉しかった気持ちはお寺の人に伝えたくなります
次は
番外元慶寺へ
寺門が素敵です
民家が並ぶ路地のような道のどんつきにあります
駐車場も2台ぶんだけ
お寺もこじんまり
それでも
参拝者は多くて驚きました
9月になったからか?
すぐそこに清水寺があるからか?
そうそう!
もも吉達もこの後で
清水寺と六波羅蜜寺に参る予定でした
でも
観光地京都の人の多さに
少々うんざりしていたので
「私達の先達さん」に相談して
滋賀県に逃げることにしました
清水寺さんの混雑ぶりは一年中です
逃げても
いつか結局は混雑の中に行くのですが
この日は
もう人混みは嫌だった
まだ9月になったばかり
滋賀県ならそれほどの混雑はないだろう
と考えました
広い!
広い!
広い!
広ーーーーー!
京都の町中のお寺を三つ参った後に
たどり着いた
滋賀県の三井寺
ひろーーーーー!(笑)
手足伸ばしても誰にもぶつからない(笑)
あぁ〜気持ちがのびのび〜とする
国宝の金堂が立派
見事な屋根
さてさて
三井寺さんのこの金堂は
西国巡礼のお寺ではないです
広〜い境内をゆるりと歩いて行くと
たどり着きます
この石段を少し上がると
西国巡礼のお堂です
そうそう
三井寺の〈三井晩鍾〉
300円で撞けます
さぁどんどん行きます
山の上です
正法寺 岩間寺です
高く高くのびた木
ご霊木の
夫婦桂です
ラスト
石山寺へ
またまたまた広ーーー
近づいてもまだ広い
門の中もこの広さ
この階段をあがると
この迫力
お寺全体が巨大な岩の上に
建ってると本にありました
見事な岩
珪灰石(けいかいせき)です
した写真
この石の上のたてものが月見亭
石山寺は
「近江八景 石山の秋月」
で有名です
今年の中秋名月は10月4日
石山寺の秋月祭も10月4日5日です
雲ひとつない夜空になるといいですね
下写真
手前の石を見て
「ぎゅ」が
人が倒れてる!!
って本気で驚いてた!!!
(笑)
では
帰りはこちら
京都を飛び出して滋賀県へ
気分がかわって
ゆるりとした気持ちでお参りができました
ありがとうございました
次のお参りも楽しみです
どうぞ宜しくお願いいたします